2008年6月20日アーカイブ
今日からサッカーEURO2008の準々決勝が始まりましたね。
そして、明日早朝はトルコ×クロアチア戦です。トルコといえば、、、
以前、トルコ人は親日家が多いと聞いたことがあります。
みなさんは、エルトゥールル号遭難事件を知っていますか?
1890年、和歌山県の大島沖でトルコ軍艦エルトゥールル号が台風によって遭難した事件です。
灯台守から船が遭難したとの知らせを聞いた大島の人々は、総出で必死に海に投げ出された乗組員を救助しました。
海面にはおびただしい船の破片と遺体が見え、それは目をそむけたくなる光景でした。
乗組員は600名。そのうち助かった人は69名でした。
助かったトルコ人は、村に収容されましたが、村は貧しく、当時は電気、水道、ガス、電話などはもちろんなく、井戸もなく、水は雨水を利用していました。
ただ各家庭では、非常食としてにわとりを飼っていました。このような村落に、69名もの外国人が収容されましたが、貧しいうえ、台風で漁ができなかったため、とうとう食料が尽きてしまいました。
それでも、村の人たちは最後に残ったにわとりを料理してトルコ人に食べさせたのです。
こうして、トルコ人たちは、一命を取り留めました。
そして次のような後日物語があります。
イラン・イラク戦争の最中、1985年3月17日の出来事。
サダム・フセインが、「今から48時間後に、イランの上空を飛ぶすべての飛行機を撃ち落とす」と、世界に向けて発信しました。
世界各国は自国の救援機を出して救出していたのですが、日本政府は素早い決定ができず、救援機を出すことができませんでした。
空港にいた日本人はパニック状態でした。
そこに、2機のトルコ航空の飛行機が到着。
日本人215名 全員を乗せて成田に向けて飛び立ちました。
それは、タイムリミットの1時間15分前でした。
なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、日本政府もマスコミも知りませんでしたが、前・駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は次のように語られました。
「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人たちや日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、今もトルコの人たちは忘れていません。
私も小学生のころ、歴史教科書で学びました。トルコでは、子どもたちさえ、エルトゥールル号のことを知っています。
今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです。」
親日家のトルコ人。それだけではないのでしょうが、理由のひとつになっていると思います。

